コービーへ ~私が愛したスーパースターは~ [コービー関係]
あなたとの出会いは、偶然だった。
いつだったかははっきりとは思い出せない。おそらく2001年頃かな。テレビをつけたら、NBAのトップ10プレー集をやっていて、連続でランクインしていたのが、あなた。
コービー・ブライアントという名前は、それ以前からなぜか知っていた。実際に姿やプレーを見たのは、そのランキングの時が初めてだったはず。
私は一瞬で心を奪われた。
実は私は最初、コービーが191センチのPGだと勘違いをしていた。どうしてかはわからないけど。
ランクインしていたプレーは、どちらもダンク。
私は、191センチのPGがゲーム中にダンクをするのを見て驚いたと同時に、単純にカッコいいと思った。
それ以来、たまにBS放送でやっていた『コービーのチーム』の試合を見るようになり、ビデオテープに録画をするようになって、繰り返し繰り返し、何度もあなたのプレーを見た。
あなたが、198センチのシューティングガードのプレーヤーだったことも知った(笑)
そんな私だけど、実はあなたのファンになりたての頃は、他の選手にも興味を持っていた。具体的には2選手。
一人は、2000台前半、オーランドで背番号1番を付けていた、あなたと同じポジションのプレーヤー。(ペニー・ハーダウェイではない)
もう一人は、2003年に鳴り物入りで入団した高卒ルーキーで、203センチの身長で、PGポジションで最初の年はプレーしていた人。
その人は、『よく知ってるチーム』で、現在も現役としてプレーしていますね。
最初はミーハーだった私だけど、2003年の夏のある出来事をきっかけに、あなたが私の“オンリーワン”となる。
それは、あなたが巻き込まれた、“コロラドでの一件”。
私にとってはショックだったし、世間的にも衝撃だったと思う。
私には親友がいて、その親友もNBAに興味があり、そいつはクリス・ウェバーのファンだった。
そいつは私がコービーのファンだったことを知っているし、コロラドでの一件のことで、私は散々からかわれた。
私は、『単なる浮気』と、擁護になってるのか、なっていないのかよくわからん反論をしていたけど。
加えて、当時はインターネットも普及しておらず、NBAの情報を得るのは、BS放送を見るか、某日本のNBA雑誌を見るくらいしか手段はなかった。
私は毎月2種類の雑誌を買って読んでいたけど、当時はコービーに対して批判的な論調が多かった。
私が応援している選手は、みんなに嫌われているのだと思った。
ならば、せめて私は、何があってもコービーを応援し続けよう。
批判がなに?
コービーはコートで結果を出すはず。
たとえ、世界中の人があなたを嫌いでも、私だけでも、あなたのファンであり続けよう。
まだ若かった私は、そう誓った。
私の人生、選択ミスだらけなんだけど(笑)
その判断だけは正しかったと、胸を張って言える。
その後のあなたと、レイカーズの躍進と活躍は、ご存知の方も多いだろうし、あえてここでは書かないでおきましょう。
書きたいことは山ほどあるんだけど、長くなりすぎるから(笑)
だけど、盛者必衰。
長く、しかも繰り返しあなたのプレーを見てきた私には、ケガの影響もあっただろうけど、10~11シーズンからは既に衰えてきているのがわかった。
それでも勝利の為に必死にプレーするあなたから目が離せなかった。どれだけ勇気を貰ったか、どれだけ刺激を受けたか分からないくらい。
もうこの頃にはインターネットも普及していたし、雑誌なんて話ににならないくらいの情報が得られるようになっていた。
昔以上に、私はあなたを追い続けた。
引退までについても、ここでは省きましょう。後で少しだけ触れるけど。
引退後に、あなたがアカデミー賞を獲ったのは驚いた。引退してすぐに、違う分野に情熱を注ぎ、結果を出す。
あなたが繰り返し言っていた
『インスピレーションを人々に与えたい』
それが確実に実現しつつあると思った。
実は、私もあなたの影響を大きく受けた。
私事になるけど、私は一昨年の暮れから、起業し、とあるお店の経営者となった。
いまだに店の名前も覚えてもらえないような、小さな小さなお店。
起業をするのには勇気が必要だった。
そんなとき、私を後押ししてくれたのは、あなたのメンタリティ、マインドセットだった。
前述したけど、あなたは引退後、すぐに映像制作に情熱を注ぎ、さらに、投資にも力を入れようとしていた。
私はあなたのようになりたかった。
起業する以前の話だけど、私がいち従業員として働いていた職場が、不幸なことに、経営不振により、いわゆる『潰れる』ということになった。
私は職を失うことになる。それが目と鼻の先に迫ったとき、私と身内は、自分たちで起業をすることに決めた。
提案したのは私。リスクを承知の上だった。それに、身内も同じ会社の違う店で以前から働いていたし、潰れる直前は、一緒の店で働いていた。
その業種についてのノウハウや業者とのつながりは、ある程度あったのも大きかった。
実は私は“経営者”“店のトップ”になるつもりはなかったのだけど、身内で話し合った結果、私がトップになることになった。
私は大学も行っていないし、起業する業種のノウハウはある程度あっても、経営のノウハウや、知識はない。
それに私は人間的にも未熟で、本当に経営者としてゼロからのスタート。
だけど、私はあなたのメンタリティや、マインドセットを思い出した。
“目の前のことに全力を尽くす”
“リスクを恐れず、すべてを懸ける”
“細部にまで、こだわりを持つ”
“成功するためには、犠牲が必要”
“リーダーシップは、孤独なもの”
すべてあなたから学んだこと。
私のいる業界は、起業して1年以内に、7割が潰れるとかいう話を聞いたことがあるような業界(本当かはわからないけど)。
厳しい時期はあったけど、身内を含めたスタッフの頑張り、関連業者さんの協力、あとは運が良かったこともあり、なんとか2年目を迎え、ある程度安定してきたようにも思う。コロナウイルスのこともあるから、油断できないけれども。
あなたから学んだメンタリティ、マインドセットがなければ、今の私と店はない。
あなたは生前、特に引退後は、『人々にインスピレーションを与えたい』、と常々言っていた。
あなたにとっては、志半ば、まだまだ途中だったと思う。
だけど、少なくも私はあなたからインスピレーションを受けた。学んだ。刺激になった。
今の私と、店があるのは、あなたのおかげなんだから。
あなたが生前やりたがっていたことは叶っているんだよ。
私以外にも、あなたからインスピレーションを受けた人は絶対いるはず。
あなたの夢は、叶っているよ。安心して。
ちょっと長くなってしまったけど、もう一点。
あなたのラストシーズン、私はすべての試合をインターネットで見た。
そのシーズンで私が見たのは、敵地で、ブーではなく、歓声を受け、“ありがとう”と感謝をされるあなたの姿。
そして今年の1月。
耐えがたく不幸なことに、あなたが天国に行ってしまった時、ありとあらゆるチームの選手、ファンなど、世界中の人々があなたが天に召されたことを悲しんでいた。
その時、わたしは思った。
約17年前、世界中の人から嫌われ、私だけが応援をしていると思っていたあなたは、
本当にたくさんの人から愛されていたんだと。
私が愛したスーパースターは、みんなに愛されていたんだと。
私は、あなたのファンで本当に良かった。本当に心からそう思える。誇りに思える。
これからも私は、あなたから学び、刺激を受けたことを胸に、前に進んで行こうと思う。
あなたは永遠に私のヒーロー。
コービー、本当に、本当にありがとう。
そしてジジ。
安らかに。
【見てくださった方々へ】
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
実は私はまだ、コービーが天に召されたことに対し、心の整理ができていません。
なので今回のこの記事は、わけわからんことを書いてしまっているかもしれません。
ですが、これが今の私の素直な思い、心情です。
記事は2月には既に書こうと決めていました。ですが、いろいろな感情や思い出があふれ、記事が書けませんでした。こんなのは初めてです。
ですが、どこかで書かないと、いけないと思い、このタイミングで書かせていただきました。
まもなく、NBAはプレイオフに入りますが、実は私はあまり今シーズンの試合を見ることができていません。
上記しましたが、起業したので、毎日必死で働いており、試合を見る暇も余裕もないというのが現状です。
加えて、これも私事ですが、愛犬ダンクが、右後ろ足の前十字靱帯を断裂しており、まもなく手術を行います。
完治までには3カ月以上はかかるであろう手術です。しばらくの間不自由になるであろうダンクから目が離せません。
できる限りダンクをサポートしようと、家族一同決意をしています。
なので、おそらく今シーズンのプレイオフは全く見ることができません。
私のポリシーとして、“試合を見ていないのに安易に語るべからず”というものがあります。
見ていないのに、細かい部分や、出来事を語ることなどできないからです。
なので今シーズンはレイカーズについてのツイートもほとんどしていません。
仮にレイカーズがファイナルに行っても、見ることもツイートをすることもできないでしょう。
残念ですが、コービーが後押ししてくれた事業と、大切な家族の命を優先しようと思います。
コロナウイルスの影響で、NBAはもちろんですが、私たちの生活や健康にも大きな懸念が皆様にもあると思われます。
辛い時期ですが、なんとかこの危機を乗り越え、安心して生活を送ることができるよう、一日一日を懸命に生き抜いていこうと思います。
皆様も、お体にお気をつけください。
いちレイカーファンとして、皆様の健康と、チームの幸運を願っています。
最後まで見てくださり、本当にありがとうございました。
2020年8月17日 ひで
ジェイ・ウィリアムスが語る、コービーの“異常な”練習熱心さ [コービー関係]
引退して1年以上たつというのに、コービーのエピソードは次々と出てきます。
今回はとある、意外な元プレーヤーによって語られるコービーのエピソードになります。
その“意外な元プレーヤー”というのはジェイ・ウィリアムスです。
今の若いNBAのファンの方は、彼を知らない人が多いかもしれません。
というのも、彼がNBA選手だった期間は、ほんのわずかです。ドラフト全体2位指名だったにもかかわらず。
簡単に彼の紹介をしておこうと思います。
ジェイ・ウィリアムスは名門デューク大学出身のPGでした。在学中にネイスミス・アワードも受賞しています。
そして2002年ドラフトにて、全体2位指名でシカゴ・ブルズに入団します。
ちなみにこの時のドラフト1位はあのヤオ・ミンでした。ヤオ・ミンか、それともジェイ・ウィリアムスか、ドラフト前にどちらが1位指名を受けるか話題になったのを覚えています。
結局ヤオの方でしたが。
かなり期待されていましたが、ジェイ・ウィリアムスのルーキーイヤーはパッとしませんでした。
そしてそのオフ、彼を悲劇が襲います。
彼はバイクを運転中に交通事故に遭い、大怪我を負ってしまいます。
私の記憶では、NBA選手の大部分はバイクに乗ることを禁止されていたはずだし、今でもそのはずです。
ですが、彼はバイクに乗ってしまい、事故に遭いました。
不幸なことですが、同時に『自業自得だな、こりゃ』と当時は思ったものです。
事故から回復し、プレーヤーとして復帰をしようとしましたが、結局満足に復帰をすることもできず、彼は早々とプレーヤーとしてのキャリアを終えることになりました。
名門デューク大で素晴らしい活躍を見せ、ドラフト2位指名権を受けた選手としては、あまりにも悲しいキャリアだったと言えます。
そんな彼ですが、現在は大学のコーチングや、解説者をやっているという情報を見たことがあります。
自身のプレーヤーとしてのキャリアは不幸なものでしたが、バスケットボールに携わる生活をしているみたいでホッとしています。
少し話が脱線しましたが、今回はそんなジェイ・ウィリアムスが体験した、コービーの“異常な”練習に対しての姿勢が窺えるエピソードになります。
これはウィリアムス唯一のNBAキャリアと言っていい、彼のルーキーイヤーの体験みたいです。
レイカーズ対ブルズの試合前の練習の際の出来事。
彼の語ったエピソードを和訳して載せていきます。
ちなみに元記事はこちらになります。
→【This is a fantastic story about Kobe Bryant’s insane work ethic】
ウィリアムス:
この試合は7時からだった。チャンピオンチームのレイカーズとね。
僕は3時にアリーナに行って、試合前に400本シュートを決める練習をして、
それからサウナ風呂に入ってゲームの準備をするつもりだった。
誰を目撃したか?私はコービーを見た。すでに練習していた。
コートに入り、私は練習を始めた。私は1時間、1時間半ほど練習をした。
私は引き揚げ、練習を終えて座っていたけど、もちろ、まだボールの弾む音が聞こえていた。
私は見渡して、『あの人、まだ練習してるの?』って感じだった。僕が来た時、すでに彼は汗まみれだったのに。
その試合で、コービーは僕たち相手に40得点した(※注:実際のスタッツは36点)。
試合が終わって、僕は『彼に聞かなくちゃ。私は彼がなぜあんなに練習をするのかを理解する必要がある』と思った。試合が終わって、
『ねぇ、コービー、あなたはなぜあんなに長くジムにいるの?』と訊いた。
彼は『君がやってくるのを見たから。そして、“君がどんなにハードに練習しても関係ない。 僕は君よりもハードに練習しようと思っている”ということを君に知ってほしかったんだ』と私に言った。
以上がエピソードになります。
はっきり言って、異常でしょう(笑)
なぜなら、この時コービーは既に3つのチャンピオンリングを手にし、スーパースターとしての地位を確立しています。
そんな選手がドラフト2位指名とはいえ、パッとしないルーキー相手に。しかも試合ではなく、練習でです。
“自分の方が君より練習するんだ!”と張り合うわけです。普通に考えて、こんなことをする選手は稀でしょう。
だけどこれが“コービー・ブライアント”なのです。
おそらく、コービーにとってはリーグにいる全選手、スター選手から下部リーグを行ったり来たりの人まで、すべての選手が競争相手なのでしょう。
はたして今のリーグにこんな選手が何人いるでしょうか?
おそらく片手ほどもいないのではないでしょうか。私が知らないだけで、いるのかもしれませんが(笑)
この“持って生まれた競争心”こそが、コービーをあれほどの選手にしたのでしょう。
今回はこれで以上ですが、少し余談を。
近いうちに当ブログの名前を変更します。
というのも、コービーが引退して1年以上たつのに、未だに“コービー応援ブログ”なので(笑)
もちろん今でもコービーを応援しているし、情報は追っていますが、コービーはもうレイカーズの選手でないし、レイカーズは新たな時代に入ってきています。
そういう意味でも、ここで一区切りつけ、ブログの名前を変更しようと。
もちろんコービー関連の記事は今後も書きます。単にブログの名前を変更するだけです。
只今ブログの名前を考え中です。変更した際はツイッターで報告させてもらおうと思っています。
今回は以上です。
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“執念” コービーを偉大にさせたもの [コービー関係]
コービーがサイト“The Players' Tribune”に
『Obsession Is Natural』(執念は生まれつきのもの)
というタイトルで記事を寄稿しています。
非常に興味深いうえに、コービーの性格が良く分かる記事だったので、全部和訳しました。
元記事はこちらになります。
それではここからが和訳です。
“執念は生まれつきのもの”
1996年、11月12日、アレン・アイバーソンはガーデンでのニックス戦に勝利した試合で35点を取った。
1996年、11月12日、僕はヒューストンでの勝利した試合で5分間プレーし、2点で終えた。
夜遅くにホテルの部屋にチェックインして、スポーツセンター(現地のスポーツチャンネル)で彼が35点取ったのを見て、私は我を失った。
テーブルをひっくり返し、椅子を投げ、テレビを壊した。
私はこれまでハードに練習していたと思っていた。
5分、2点。
私はもっと練習をハードにする必要がある。
私はやった。
1999年、3月19日、アイバーソンはフィラデルフィアで僕の前で41点、10アシストを記録した。
熱心な練習は十分ではなかった。
私はこの男を取り憑かれた様に勉強する必要があった。
私は見つけれる限りすべてのAIに関しての記事や本を取り憑かれたみたいに読んだ。
私は執拗なまでに彼がプレーした試合を見た。IUPUのオールアメリカンゲームまで遡ってまで。
私はしきりに彼のすべての成功、そして彼の苦労を学んだ。私は異常なまでに、見つけることができる限りの彼の弱点を探した。
私はAIに関して塾考したことを私の中に取り入れるために、黙想の世界を調べた。
(※4/23 追記:この文章では原文に“Musecage”と出てくるところを私は“熟考”と訳しています。
ですが、ここは文脈から考えると、『AIについて実績など、いろいろ調べたこと』と訳す方が分かり易いかもしれません。
そもそも、“Musecage”というのは造語です。辞書で調べても出てきません。
“muse”というのは、ギリシャ神話に出てくる『芸術家にインスピレーションを与える女神』という意味です。これはコービーが掲げる『多くの人々にインスピレーションを与えたい』というコンセプトを表す言葉としてコービーが使っているものです。“cage”は『檻』という意味なので、そのまま“Musecage”を訳すと『museを捕まえておく檻』という意味になります。これでは意味が通じませんよね。
なので私は『神話の世界に入り浸る≠深く考える』と訳し、この文脈で言うと、
『AIについて業績など、いろいろ調べたこと』と訳しました。
このことを知っておかないと、『Musecageってなんだろう?』と感じるかもしれません。私の説明不足でした。
なお、この和訳はツイッターアカウント@MayLAL24 さんからアドバイスをいただき、この修正と追記を入れました。Mayさん、ありがとうございます。)
それは南アフリカ沖でどうやって凶暴な大型サメがアザラシを捕食するのかということを学ぶことにもつながった。
忍耐、タイミング、角度。
2000年2月20日、フィラデルフィアにて。フィル・ジャクソンHCは後半開始から私にAIを守るという
課題を与えてくれた。私にとってこのチャレンジがどのくらいの意味があるかなんて誰も知らない。
私は彼(AI)に私が感じたフラストレーションを感じさせたかった。
私はAIが私の前で41点10アシストした際に私のことを笑ったすべての人を笑いすぎで窒息させてやりたかった。
彼は公に、私たちお互いが他の選手には止められないと言うだろう。
私はそう信じられているのを否定する。
私は50点取る
お前は0点に終わる
これが私の信じたこと。
僕が彼をマークし始めた時、彼は前半で16得点だった。彼は試合を16点で終えた。
(※追記:過去のゲームログを調べてみましたが、この日アイバーソンは本当に16点で試合を終えています。 44分出場してFGは7/25、5TOでした。ちなみにコービーは39分出場で18点、7アシスト、5ブロックを記録しています。FGは7/15です。試合はレイカーズが勝っています)
リベンジは素敵なものだった。
でも、勝った後でも僕は満足していなかった。
そもそも最初に彼が私をあんなふうな気持ち(AIに先に活躍されたり、やられて屈辱的な気持ち)にさせたことに対して僕はイライラしていた。
私はその時点から、すべてのマッチアップに対し、生きるか死ぬかという姿勢で臨むことを誓った。
誰も私のそのような焦点を決してコントロールしようとはしなかった。
私は私がターゲットにして、封じ込めたいプレーヤーを見極めます。
私は来るべきシーズンでのあなたの目標が、私が20年間なりたいと思っていたところ(おそらく優勝のこと)に対して妥協しているかどうかを見極めます。
もし彼らが妥協していないのであれば、あなたにとって天国になるでしょう。だけどもし妥協しているのなら・・・
私はあなたを徹底的にやっつけるだろう。当然だよ。
以上が和訳になります。少し分かりやすいように意訳している部分があります。
あと、和訳で間違っている部分があれば、ツイッターにて私に教えてくださるとうれしいです。 私は常に正確な情報をこのブログや私のツイッターを見てくださっている方に提供したいと思っているし、私のモットーでもあります。ご協力ください。
教えてくだされば、その都度記事を訂正します。
この記事を見ると、“どうしてコービーがNBAの歴史上、最も偉大なプレーヤーの1人”と評価されるか、その理由が窺い知れることができますね。
『異常なまでの執着心』これをコービーが持っていたということがその理由の一つなのではないでしょうか。
また、アイバーソンというライバルがいたこともコービーには良い影響になったことでしょう。
アイバーソンの方がコービーよりも先に活躍し始めたから、また、コービーの目の前で活躍したから。
そのことがコービーをより奮い立たせたのでしょうね。
こういう、コービーの性格が分かる様な記事や、昔のエピソードと言うのは興味深く、見ていて楽しいし、私たちの人生において参考になることかもしれません。
また、コービーのこのような“執念”が、今のレイカーズの選手たちに欠けているものなのかもしれません。
今日の記事は以上です。
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『Obsession Is Natural』(執念は生まれつきのもの)
というタイトルで記事を寄稿しています。
非常に興味深いうえに、コービーの性格が良く分かる記事だったので、全部和訳しました。
元記事はこちらになります。
それではここからが和訳です。
“執念は生まれつきのもの”
1996年、11月12日、アレン・アイバーソンはガーデンでのニックス戦に勝利した試合で35点を取った。
1996年、11月12日、僕はヒューストンでの勝利した試合で5分間プレーし、2点で終えた。
夜遅くにホテルの部屋にチェックインして、スポーツセンター(現地のスポーツチャンネル)で彼が35点取ったのを見て、私は我を失った。
テーブルをひっくり返し、椅子を投げ、テレビを壊した。
私はこれまでハードに練習していたと思っていた。
5分、2点。
私はもっと練習をハードにする必要がある。
私はやった。
1999年、3月19日、アイバーソンはフィラデルフィアで僕の前で41点、10アシストを記録した。
熱心な練習は十分ではなかった。
私はこの男を取り憑かれた様に勉強する必要があった。
私は見つけれる限りすべてのAIに関しての記事や本を取り憑かれたみたいに読んだ。
私は執拗なまでに彼がプレーした試合を見た。IUPUのオールアメリカンゲームまで遡ってまで。
私はしきりに彼のすべての成功、そして彼の苦労を学んだ。私は異常なまでに、見つけることができる限りの彼の弱点を探した。
私はAIに関して塾考したことを私の中に取り入れるために、黙想の世界を調べた。
(※4/23 追記:この文章では原文に“Musecage”と出てくるところを私は“熟考”と訳しています。
ですが、ここは文脈から考えると、『AIについて実績など、いろいろ調べたこと』と訳す方が分かり易いかもしれません。
そもそも、“Musecage”というのは造語です。辞書で調べても出てきません。
“muse”というのは、ギリシャ神話に出てくる『芸術家にインスピレーションを与える女神』という意味です。これはコービーが掲げる『多くの人々にインスピレーションを与えたい』というコンセプトを表す言葉としてコービーが使っているものです。“cage”は『檻』という意味なので、そのまま“Musecage”を訳すと『museを捕まえておく檻』という意味になります。これでは意味が通じませんよね。
なので私は『神話の世界に入り浸る≠深く考える』と訳し、この文脈で言うと、
『AIについて業績など、いろいろ調べたこと』と訳しました。
このことを知っておかないと、『Musecageってなんだろう?』と感じるかもしれません。私の説明不足でした。
なお、この和訳はツイッターアカウント@MayLAL24 さんからアドバイスをいただき、この修正と追記を入れました。Mayさん、ありがとうございます。)
それは南アフリカ沖でどうやって凶暴な大型サメがアザラシを捕食するのかということを学ぶことにもつながった。
忍耐、タイミング、角度。
2000年2月20日、フィラデルフィアにて。フィル・ジャクソンHCは後半開始から私にAIを守るという
課題を与えてくれた。私にとってこのチャレンジがどのくらいの意味があるかなんて誰も知らない。
私は彼(AI)に私が感じたフラストレーションを感じさせたかった。
私はAIが私の前で41点10アシストした際に私のことを笑ったすべての人を笑いすぎで窒息させてやりたかった。
彼は公に、私たちお互いが他の選手には止められないと言うだろう。
私はそう信じられているのを否定する。
私は50点取る
お前は0点に終わる
これが私の信じたこと。
僕が彼をマークし始めた時、彼は前半で16得点だった。彼は試合を16点で終えた。
(※追記:過去のゲームログを調べてみましたが、この日アイバーソンは本当に16点で試合を終えています。 44分出場してFGは7/25、5TOでした。ちなみにコービーは39分出場で18点、7アシスト、5ブロックを記録しています。FGは7/15です。試合はレイカーズが勝っています)
リベンジは素敵なものだった。
でも、勝った後でも僕は満足していなかった。
そもそも最初に彼が私をあんなふうな気持ち(AIに先に活躍されたり、やられて屈辱的な気持ち)にさせたことに対して僕はイライラしていた。
私はその時点から、すべてのマッチアップに対し、生きるか死ぬかという姿勢で臨むことを誓った。
誰も私のそのような焦点を決してコントロールしようとはしなかった。
私は私がターゲットにして、封じ込めたいプレーヤーを見極めます。
私は来るべきシーズンでのあなたの目標が、私が20年間なりたいと思っていたところ(おそらく優勝のこと)に対して妥協しているかどうかを見極めます。
もし彼らが妥協していないのであれば、あなたにとって天国になるでしょう。だけどもし妥協しているのなら・・・
私はあなたを徹底的にやっつけるだろう。当然だよ。
以上が和訳になります。少し分かりやすいように意訳している部分があります。
あと、和訳で間違っている部分があれば、ツイッターにて私に教えてくださるとうれしいです。 私は常に正確な情報をこのブログや私のツイッターを見てくださっている方に提供したいと思っているし、私のモットーでもあります。ご協力ください。
教えてくだされば、その都度記事を訂正します。
この記事を見ると、“どうしてコービーがNBAの歴史上、最も偉大なプレーヤーの1人”と評価されるか、その理由が窺い知れることができますね。
『異常なまでの執着心』これをコービーが持っていたということがその理由の一つなのではないでしょうか。
また、アイバーソンというライバルがいたこともコービーには良い影響になったことでしょう。
アイバーソンの方がコービーよりも先に活躍し始めたから、また、コービーの目の前で活躍したから。
そのことがコービーをより奮い立たせたのでしょうね。
こういう、コービーの性格が分かる様な記事や、昔のエピソードと言うのは興味深く、見ていて楽しいし、私たちの人生において参考になることかもしれません。
また、コービーのこのような“執念”が、今のレイカーズの選手たちに欠けているものなのかもしれません。
今日の記事は以上です。
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アイゼア・トーマスが初めてコービーをガードした日 [コービー関係]
レイカーズは今日、宿敵ボストン・セルティックスと対戦し、107対113で敗れました。
今期絶好調で、スコアラーとして確実にステップアップしたボストンの
アイゼア・トーマスに38点を取られ、止めれなかったことが敗戦の理由の一つであることに間違いはありません。
そのトーマスは、レイカーファンとして育ち、お気に入りのプレーヤーはコービーだったそうです。
今シーズンが始まってすぐ、2016年11月の記事ですが、コービーとのあるエピソードをトーマス自身が明かし、記事になっていたのを思い出しました。
もしかしたらすでにご存じの方も多いかもしれませんが、そのエピソードに関して記事にしてみました。
このエピソードはトーマスのルーキーイヤー、2011~12シーズンの開幕戦でのことで、
トーマスが初めてコービーのガードについた際のものです。
このシーズンのサクラメントの開幕戦の相手はレイカーズでした(ちなみにレイカーズはシーズン2試合目で開幕戦の相手はシカゴだった)。
→和訳の参考にした元記事はこちらより
-アイゼア・トーマス
それはシーズン開幕戦、サクラメント・キングスvsロサンゼルス・レイカーズ戦のことだった。
トレーニングキャンプ中にはあるルールがあった。選手たちは僕に対して(ポストで)バックダウンを仕掛けてくるけど、
彼らはいつもターンオーバーをしていた。だからキングスのコーチ、ポール・ウエストファルは 『アイゼアに対してバックダウンするな』って感じだった。
(解説:アイゼアは身長が低いので、相手プレーヤーはバックダウンしてくるけど、 バックダウンに対してのディフェンスに自信を持っていたということですね。)
(レイカーズ戦で)僕が交代でゲームに出場した時、みんなこんな感じだった。
『誰がコービーにマッチアップするんだ?』
ポール・ウエストファルは 『アイゼアがコービーにマッチアップするんだ。思い出せ。誰も君相手にバックダウンできないんだ』と言った。
僕は『マジかよ!僕のお気に入りのプレーヤーだぞ!』という感じだった。
コービーがゲームに出てくると、彼は僕に対してアイソレーションでバックダウンを3回連続で仕掛けてきた。 笑うしかなかったよ。彼は3回も僕相手にスコアし、僕は笑いながら走って戻るしかなかった。 誰かが僕相手にスコアをしたのに、笑みが浮かんだことなんて初めてのことだった。
でも、相手はコービー・ブライアントだ。史上最もお気に入りのプレーヤーだ。 夢のような感じで、現実だと感じられなかった。だから彼が僕相手にスコアしてくれてうれしかった。
けど、ポール・ウエストファルが『誰も君相手にはバックダウンできないぞ』と言った時、僕は言ったよ。 『ねぇ、茶化さないでよ。相手はコービーだ。彼は誰相手でもバックダウンしてくるんだ!』 クールなちょっとした“welcome to the NBA story”だね。
また、これはLAタイムスの記事ですが、トーマスはこう発言しています。
→元記事はこちら
『コービーはゲームを変えた。コート上だけでなく、コート外でも。彼にはすごく意味がある。 彼が僕のお気に入りのプレーヤー』
『彼とコート上で共有できたことと、彼と競争することができたことは本当に多くの意味がある』
アイゼア・トーマスがレイカーファンとして育ったことは上述しましたが、
トーマスは、FAになった際、本気でレイカーズ入りを考えていたそうです。
ですが、それは実現しませんでした。
その理由が、今日レイカーズがボストンに負けたことによって、再び掘り起こされているようです。
「アイゼア・トーマスがFAの時にレイカーになりたいと頼んだのに、レイカーズのマネージメントは彼を無視した。今になってもムカつく。」 https://t.co/Zf4wPu9k3V
— May (@MayLAL24) 2017年2月4日
もし、トーマスがレイカーズ入りしていたらどうなっていたかと想像するとまた面白いですよね。
少なくとも、トーマスはレイカーファンから愛される選手になっていたのではないでしょうか。
彼のプレーからは身長なんか関係ないとばかりの反骨心と、ただ勝ちたいという情熱を持ち、全力でプレーしている様子が伝わってきます。
彼の憧れであるコービーと同じように。
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コービー本人が選ぶ、20年のキャリアでの出来事Top10 [コービー関係]
久しぶりの記事になります。
1年前の今日、現地11月29日はコービーが2015~16シーズン限りでの引退を発表した日です。
だからだと思いますが、LAでレイカーズの試合を放送している放送局、
“Spectrum Sportsnet”(昨シーズンまではTime Warner Cable Sportsnetでしたが、
名称が変更になりました。未だに間違えそう(笑))の番組で、
『コービーのキャリアの出来事Top10』という番組をやっているそうです。
事前に番組のCMを見ましたが、コービーがインタビュー形式で直接答えていたので、
番組側が決めたTop10ではなく、コービー本人が選んだTop10のようです。
なので、コービーにとってのキャリアでの重大な出来事は何かな?と思い、気になっていました。
私は日本に住んでいるので
(どういうわけだか、ツイッターではたまにLAに住んでいると勘違いされることがあります。
実は私は生まれてこの方、日本から1歩も出たことがないです(笑))
番組を見ることはできませんが、今の時代はとても便利で、ツイッターで簡単に情報を集めることができます。
ツイッターで集めた情報なので、間違っている部分がもしかしたらあるかもしれませんが、
今回は“コービーが選んだキャリアTop10の出来事”を記事にしたいと思います。
それでは10位からいきましょう。
第10位) 2002年カンファレンスファイナル VSサクラメントキングス戦での激闘
これは良く覚えています。このシリーズ、レイカーズはホームコートアドバンテージがありませんでした。
レイカーズは敵地での第1戦に勝ちますが、第2戦、ホームに帰った後の第3戦にも敗れてしまいます。
ちなみに第2戦の前にコービーはホテルで食べたチーズバーガーで食あたりを起こしてしまうんですよね。
それでも試合には出ていましたが。
第4戦は試合の最後までサクラメントにリードを許しますが、ロバート・オーリーの“ザ・ショット”に助けられ、第4戦をモノにします。
これで流れはレイカーズに来たかと思いますが、アウェイでの第5戦でレイカーズは敗れ、王手をかけられてしまいます。
しかし、レイカーズは落ち着いていました。ホームでの第6戦に勝つと、アウェイでの第7戦、オーバータイムにもつれる接戦になりますが、なんとかレイカーズが勝利し、ファイナル進出を決めたという激闘でした。
このころのサクラメントは手ごわかったですね。ウェバーのオールラウンドな活躍、マイク・ビビーのブレイクアウト、ブラデ・ディバッツのシャックに対しての嫌らしいディフェンスなど、憎たらしかったです(笑)
第9位) 2005年12月、vsダラス・マーべリックス戦での62Points in 3Q
説明よりも、動画を見たほうがよくわかると思います。
第8位) 2004年4月、vsポートランド・トレイルブレイザーズ戦での2本のブザービーター
このコービーのとんでもない2本のシュートによって、レイカーズはパシフィックディビジョンの1位が確定したんですよね。
そういう意味でもこのコービーの2本のブザービーターはチームを救いました。
第7位) 2006年プレーオフ1回戦 vsフィニックス・サンズ 第4戦でのブザービーター
これもよく覚えている方は多いと思います。このシュートでレイカーズは勝利し、3勝1敗とシリーズ勝利まであと1勝と王手をかけました。
しかし、レイカーズはここから3連敗し、シリーズ敗退となってしまいます。
シリーズを勝ち抜いていたならば、一層素晴らしいシーンとなったはずなので、そこがとても残念に感じてしまいます。
第6位) 2009年2月 MSGでの61点
この試合でコービーが記録した61点は2014年にカーメロ・アンソニーが62点を記録するまでMSGで記録した個人の得点としては歴代1位でした。
ちなみにビジターの選手として記録した個人の得点としては現在でも歴代1位です。
第5位) 2010年ファイナル vsボストン・セルティックス戦に勝ち、5つ目のチャンピオンリング獲得
コービー自身、5つのチャンピオンリングの中で、このシリーズに勝ち獲得したチャンピオンリングが一番うれしかったと晩年に語っていました。
2008年のファイナルで負けているので、この年はリベンジを果たしたということで、余計に嬉しく感じたのだと思います。
ちなみにこれは私の感想ですが、このシリーズの第7戦はバスケットボールの試合としては醜い試合(シュート入らない、足が動いてないなど)ですが、勝負としては今まで見てきた中で最も美しい試合だったと思っています。
理由は両チームの選手・スタッフ、さらにはファンがあと1試合に勝つためにすべての力を出し切り、全力で戦った試合だからです。
コービーの試合終了直後の表情がそれを物語っていました。
第4位) 2016年4月、コービーのキャリア最終戦 vsユタ・ジャズ戦での60点
説明はいらないでしょう。
第3位) 2013年にアキレス腱を断裂したことと、レイカーズがプレーオフに行くために全身全霊を注いだこと
2013年はレイカーファン、NBAファンにとってレイカーズは『失敗』だったと思われていると思います。
実際そうだと思います。怪我人の続出、HCの交代、チームとしての機能不足など、あらゆる試練の連続でした。
そんななか、コービーはチームをプレーオフに導くべく、自分のすべての力を出し切り、全身全霊を注ぎました。
シーズンの最後の方なんて、平均45分近く出場していたし、得点、プレーメイク、ディフェンスなど、あらゆることをしました。
レイカーズはプレーオフに出場することになりますが、その代償はあまりにも大きかったです。
コービーは4月13日のGSW戦でアキレス腱を断裂してしまいます。そしてコービーを欠いたプレーオフではサンアントニオになす術もありませんでした。
そしてここからレイカーズの凋落はあっという間でした。
コービーのこの怪我は、結果としてはコービーのキャリアを一変させるものとなってしまいました。
ですが、興味深いのはコービーがこの怪我の事を全く後悔していないと語っていたことです。
先の事を考えるのではなく、目の前の1試合1試合に目を向け、勝つために全力を出し切ってきたコービーだからこそ、そう感じるのでしょう。コービーのこの献身は一生忘れません。
第2位) 2000年ファイナル vsインディアナ・ペイサーズ 第4戦でのテイクオーバー
この試合はコービーにとってもターニングポイントになった試合、場面だったかもしれません。
この試合はオーバータイムに入ってすぐにシャックがファウルアウトになってしまうんですよね。
この時期はコービーがチームの重要人物だったのは事実ですが、あくまでチームの中心はシャックでした(全盛期でしたし)。
そのシャックが重要な場面でファウルアウトになり、『ヤバイ』と思ったファンも多かったのではないでしょうか。
そんな中、試合の終盤を支配したのがコービーでした。この活躍なくして、レイカーズは優勝できなかったでしょう。この試合をとったのは非常に大きかったです。
ファイナルという大舞台で『コービー・ブライアント』という名を世界中に知らしめた、ターニングポイントとなった試合だったかと思います。
そしていよいよ第1位です。
第1位) “81ポイント・ゲーム”
もはや説明はいりませんよね。伝説の試合です。今後100年は語られることでしょう。
私がコービーが81点を取ったことを知ったのは、意外にもサッカーが好きな友人の口からでした。
『ひで君ってコービー好きやんな?81点取ったらしいで』
私は、『81点!?31点の見間違いじゃなくて?』と冗談だと思っていました。
ですが友人が新聞に載っていたというので、帰って新聞を見ると、本当に81点だったのです。驚いたなんてもんではなかったです。
当時は現在のように毎試合見れる環境でもなかったし、ツイッターのようなSNSもなければ、インターネットもほとんど使っていなかったし、情報が回るのが遅かったんですよね。
それを考えると、今って便利な時代ですよね(笑)
もしも当時、インターネットがもっと発達していたり、ツイッターがあれば、コービーの81点はとんでもない大騒ぎになっていたでしょうね。
以上がランキングです。
意外だと思ったのが、このTop10の中に『ドラフトで指名されたこと』というのがなかったことです。
数年くらい前ですが、コービーはインタビューで『キャリアで最も思い出に残っていることは?』と聞かれ、
『ドラフトで指名され、NBA入りしたことかな』と答えていました。理由は『すべての始まりだから』だそうです。
まぁ、ドラフトされたのは“始まり”であって、コート上で成し遂げたことの思い出と言えば、上記のようなランキングになるのでしょうね。
コービーが引退を発表してからちょうど1年という時期に、コービーにとって思い出に残っている出来事は何なのかを知ることができるいい機会となりました。
もうコービーはコートにはいませんが、なかなかコービーのことが忘れられず、コービーのことを追い求める今日この頃です。
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コービーが17歳の自分へあてた手紙 [コービー関係]
今日、コービーが“THE PLAYER'S TRIBUNE”というサイトに
『Letter to My Younger Self』というタイトルの記事を寄稿しました。文字通り、若き日の自分へあてた手紙です。
元サイトの記事へのリンクはこちらです。
“Letter to My Younger Self”
こういう記事はやはり気になるのと、自分の英語力の訓練にもなるし、今回も和訳してみました。
いつも通り、私の感覚で意訳している部分もあるのでお許しくださいね。
また、本文中にはありませんが、和訳した時に分かりやすいように『』をつけて強調させている部分があります。
17歳の自分に向けたアドバイスとは何なのでしょうか?バスケットボールの心得?技術?
それともチームメイトとの関係性について?
それは、少し意外なことについてのアドバイスでした。
それではご覧ください。
↓ここからが和訳
若き日の自分への手紙
親愛なる17歳の自分へ。
明日、レイカーとしての夢が叶うとしたら、君は将来の家族や、友人に対しての投資の方法を見つけないといけない。
これは単純なことだ。君は多分、ほとんど悩むことはないだろう。だけど、少しの時間、深く考えてみよう。
私は『投資』と言った。
『与える』とは言っていない。
説明しよう。
兄弟や家族に単に高級なものを与える(買ってあげる)ことは正しい決断だと思うかもしれない。
君は彼らを愛している。そして彼らは君が成長するとき、いつも一緒にいた。だから彼らが君の成功と、それに伴うことを共有するのは正当なことだ。
だから君は彼らに車を買う。大きい家を買う。彼らのためのすべての料金を払う。
君は彼らに素晴しい人生を歩んでほしいし、快適な人生を歩んでほしい。そう思うだろう?
でも、君は正しいことをしていると信じているのと同じくらい、実際は彼らを支配していることに気づく日がやってくるはずだ。
君は彼らのことを気にかけている『君の』気分が良くなっていることに気付くだろう。
彼らの笑顔や、何の悩みもないような様子を見て、『君が』幸せに感じるんだ。
(解説:人に物を買ってあげて、人を喜ばせているつもりが、実際は人に物を買ってあげている自分に酔っているということですね)
そしてそれは君が極めて自己中心的なことなんだ。
君が自分自身に満足している間、君は徐々に彼ら自身の夢や抱負を奪っているんだ。
君は彼らの人生に高価なものを付け加えているけど、それはすべての中で本当に貴重な贈り物:“自立”と“成長”を減らしてしまっている。
家族のリーダーとなって、取り掛かるためにはそれらのことを理解するんだ。そしてそれは難しい判断を含む。
君の兄弟や家族がその時は理解してくれなかったとしても、だ。
彼らの未来に『投資』しろ。ただ与えるな。
富や影響力などの君の成功を使って、彼らを自分自身の夢に気付かせたり、正しい目的を見つけることができるようなベストなポジションに置いてあげるんだ。
彼らを学校に通わせ、仕事の面接をさせ、自分自身の力でリーダーにさせるんだ。君が今たどり着いたところや、いつかたどり着くところ(レベル)に彼らを連れていくために、彼らのハードワークや献身を同じレベルに保たせるんだ。
私がこの手紙を今書いたのは、君にこの過程をたった今すぐに始めてほしいからなんだ。
そして彼らを楽をさせてしまったことでできてしまった依存心を取り除くために、君が傷ついたり、悩んだりしないでいいようにするためにも。
その依存心は、怒りしか生まない。すべての人からの恨みや、嫉妬も含まれる。君自身も含んでね。
時が経つにつれて、彼らが自立して、自分自身の抱負を持ち、自分自身の生活を持つ姿を見ることができるようになるはずだ。そして彼らみんなとの関係性も結果として良くなっていくはずだ。
君に書きたいことはもっとたくさんあるんだけど、でも17歳で、君が2000もの言葉を席に座って集中して見れないのは分かっているからね。
君に次に書こうと思うのは、ビジネスにおいて、関係のないようなものをミックスさせるチャレンジについて触れようかな。
僕が君にできる一番大切なアドバイスは、親は『親』であって、『マネージャー』ではないということをしっかりと確認することだ。
君が最初の契約を結ぶ前、親に対しての正しい予算を見つけないとね。
親は君のビジネスが成長するのと、人々に長期の成功を築かせている間は美しい生活をしたいと思うだろうし。
その方が、来るべき時に、子供達の子供(孫)や、その次の子供は自分自身の将来に対して投資をすることができる。
君の人生はまさに変わろうとしている。そして物事はとても早くやってくる。でも、君が9時間のトレーニングを終えた夜に、(ベットに)横になった時に少し考え込んでみよう。
信じてくれ、最初から物事を構成しておけば、たくさんの涙や、悲観を避けることができる。
いくつかは今日まで残ることになるけど。
じゃあね。
コービーより
いかがでしたでしょうか。少し難しい内容だったので、和訳に苦労し、時間がかかってしまいました。
この記事を読んでいると、なんだか涙が出そうな、悲しいような気持ちになりました。
コービーがこのような考えに至るまで、どんな辛い思いをしてきたのかな、などついつい考えてしまいます。
バスケットボールのコート上では華やかな面ばかり見えても、家族との問題など、裏では辛い思いもたくさんしていたのでしょうね。
そういえば、数年前に『コービーの母が実家にあったコービーのジャージーやチャンピオンリングを無断でオークションに出そうとした』ということが問題になり、裁判沙汰にまで発展したのを覚えていませんか?
私の憶えている限りでは、コービーが母親に大金を払ってあげることになり、その代わりにオークションへの出品を取りやめたはずです。
実の親がお金のために子供の記念品をオークションに出すなんてありえないと私は頭にきたのを覚えています。
コービーがかわいそうだと思っていました。
コービーの両親との確執は結構話題になっていましたよね。今も解決していないでしょう。
昔のチームメイトや交流のある人など、あれだけコービーの関係者が会場に来ていたコービーのラストゲームに両親が来ていなかった(はず)ので、その点から考えても“お察しください”ですよね。
両親との確執などの問題を経てこの手紙に記したような考えに至り、今回書いたのかもしれませんね。
以上ですが、今後もコービーについて面白い記事があれば和訳などをしていくつもりです。
なのでなにか面白いような記事を見つければ私に教えていただけると嬉しいです。ツイッターでお知らせください。
今日は以上です。
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ジェラルド・ヘンダーソンにコービーが言った『1/4インチ』 [コービー関係]
久しぶりの記事になります。
2015~16シーズンが終了してから、レイカーズにはいろいろな動きがありました。
ルーク・ウォルトンのHC就任、ドラフト、さらに今現在はFAの真っただ中です。
そういえば、ケビン・デュラントがGSWに移籍しますね。驚いた人もいらっしゃるのではないでしょうか?
FAに関して、ツイッターを見ていると、『~が欲しい!獲得したい!』というようなツイートをされている方がたくさんいて、勉強になります。
そういうのを考えるのも楽しみの一つですよね。
そんな中、ポートランドからFAになっている、ジェラルド・ヘンダーソンが良い!というツイートを見かけました。
私もその意見に同意で、SG/SFのバックアップとしてはかなり良いのではと思っています。
それでヘンダーソンについて情報を調べていると、とある記事を見つけました。
その記事とは、コービーが引退を発表後、ヘンダーソンがコービーとのエピソードをプレーヤートリビューンというサイトに投稿したものです。
見てみると、面白いな、と感じたので和訳してみました。
元記事はこちらになります。
【The First Time I Guarded Kobe】
この記事は今年の1月21日に投稿されたものなので、新しい話題でもなければ旬ネタでもないです(笑)
さらに、私はこの和訳をヘンダーソンがまだFAの状態のままで、どのチームとも契約していない
日本時間7/4の深夜に和訳しています。さらに追加で7/5の昼にこの記事を書いているので、FAの動向をまだチェックできていません。
もうヘンダーソンがどこかのチームと契約していたら、ちょっと残念ですが。
いつものごとく、少し和訳が間違っているところもあるかもしれませんし、
少し分かりやすいように意訳している部分もあります。ご了承ください。
それでは、ここからが和訳になります。
【僕が初めてコービーをガードした時】 ジェラルド・ヘンダーソン
『何かリムがおかしい』
それがコービーが僕に初めて言った言葉だった。
人々は、コービーが完璧主義者だと言う。少し、そう思う。
彼と初めて会った時のことを紹介しよう。
それは僕のルーキーイヤー、2009年にレイカーズがビジターとして来ていて、試合前のシュートアラウンドの時だった。
コービーは一人でコートに出てきて、プルアップジャンパーを打っていた。
フィリー、ローワーメリオン(コービーの出身高校)の近くで育った子供だった私にとって、それは大きな出来事だった。
彼は国のレジェンドだけでなく、ホームタウン・レジェンドでもある。僕が9歳くらいの時、お父さんに連れられて高校の試合を見に行ったんだ。
コービーは50得点した。しかも、4Qはベンチで座っていたのに。僕はコービーがハーフコートに1歩入ったところからシュートを打つのを見た。
そして、それを決めた。そしてディフェンスに戻る際に、まるで自分自身がどれほどいいプレーヤーかわかっているかのように、格好つけて歩いていた。
彼はやった。ローワーメリオンは立ち見席だけの、小さな体育館だ。みんな彼を見るために来ていた。
その時のことについての話はもう終わりで、2009年、コービーと僕は2人ともNBAプレーヤーだった。でも、彼の方が僕よりもちょっとだけいいプレーヤーだった。ほんのちょっとね。
僕の人生の半分以上の期間で、コービーは僕のアイドルであり続けている。僕は彼がやったことを、すべてやろうとした。だから、実際の彼を見ることは、僕にとってとてもクールな出来事だった。
だから僕は、試合開始の45分前にシュートアラウンドを行なった。コービーはコートの反対側にいて、シューティングを行っている。僕は彼をざっと見渡した。僕はルーキー、コービーがどんなふうにウォームアップに取り組んでいるのかを見たかった。おそらく、僕はいくつか彼から学んだ。ムーブもいくつか盗んだ。
でも不思議だった。コービーは僕がシュートを決めた以上に、シュートを外していた。実際、彼は多くのシュートをミスしていた。
すると突然、僕が彼を見ると、コービーはシューティングをやめていた。彼はボールを腰のあたりと、片腕で挟んで保持して、他の人と一緒にサイドラインへと移動していった。
それから、様々な騒動が始まった。
メンテナンス・クルーの人たちがどこからともなく現れた。まるでアイスホッケーのコートに変更するかのように。作業員が急いでコートにやってきた。
コービーは彼らに何か言っていたのと、ジェスチャーをしていた。でも、僕の立っているところからは、何を言っているのかは確認できなかった。
突然、彼らはバスケットの下に梯子をかけ始めた。コービーは上を向いてリムを見て、作業員は梯子に上った。メジャーテープと一緒に。
何が起きているの?コービーは何かを企んでいた。
僕はその様子をコートの真ん中に立って最後まで見ていた。そしてコービーが僕のところに向かってきた。
コービー:リムが少しおかしかったんだ。
ヘンダーソン:本当?
僕たちは梯子に上って修理をする人たちを見ていた。
コービー:ちょっと低い。リムが1/4インチ(約0,6センチメートル)低かったんだ。
ヘンダーソン:え?
僕はつぶやいた。この試合の前まで、リムのメンテナンスの問題なんて聞いたことがなかった。
ヘンダーソン:どういう意味?
コービー:私がミスしないようなシュートをミスする。間違いなく低い。1/4インチだ。
その時はそれで終わりだった。それだけだった。私たちの初めての会話。彼はシューティング・ルーティーンに戻った。
2つのことが僕の頭に思い浮かんだ。
1.彼のような男と会話をすることができたなんて信じられない・・・
2.ねぇ、コービー、リムじゃないよ。たぶん君はただ・・・シュートをミスしたんだよ
ボブキャッツのその時のコーチはラリー・ブラウンだった。僕は彼をとても尊敬していた。
でも、彼は僕にきつく当たった。すべてのルーキーに対しても。僕がルーキーの時、出場時間をもらうのにもがいた。僕は5分、10分は出場時間を得たいと願った。それすらなかった。
でも、コーチングスタッフは、僕がチームのベストディフェンダーの1人だと知っていた。
だから、僕はアシスタントコーチの一人のジェフ・カぺルに言ったんだ。
『ケイプ(おそらくカぺルの愛称)、今夜僕はプレーしたい。コービーをガードしたいんだ!』
ケイプの反応はこうだった。『君にチャンスをあげるつもりだよ』
僕はコーチングスタッフから聞いたことを言いたいと思った。でも、可能性としては、僕が今夜プレーするのはラリーが僕をテストするためだという方が高いと思った。
彼は僕にとってコービーがアイドルだということを知っていたし、彼は僕がチャレンジに向かうのを見たかった。
いくつかの選手が早くファウルをとられて、ラリーはベンチを見渡した。僕はベンチの端に座っていた。
『ジェラルド、彼をガードしろ』
僕はベンチから飛び上がった。“チャンス”の準備をした。ゲームにまだ出てもないのに、僕は手汗をかき、心臓の鼓動がとても早く打っていたことを覚えている。
NBAで神話を打破するようなデビューをしたかった。あなたたちは、人生の中で、AAUからカレッジ行き、そしてNBAでプレーした選手は緊張しないと思うだろう。
それは忘れてください。NBAプレーヤーも緊張するんだよ。
僕はルーキーで、試合に入った。コービーをガードして、ぞっとした。
今までで一番緊張した。
内緒話:緊張を解く方法は、ゲームに身を沈めることだ。ただ、プレーを作らないといけない。
いろいろなプレー;ディフェンスで相手をストップさせる、リバウンドをとる、ボールにダイブする、ゲームの流れにおいて、さまざまなことをしないといけない。
最初のポゼッションが始まった。コービーはウイングの位置に来た。僕は彼にマッチアップする。さぁ、いくぞ。
コービーのプレーを見て成長してきた。コービーの試合のビデオテープをたくさん見てきた。
正直、彼のゲームを知っているのはもちろん、彼ら(レイカーズ)のプレーも、見れば分かると思っていた。
彼の気持ちも分かると思っていた。今でもそうだけど。
彼は僕がルーキーだということを知っていた。だから、彼は僕相手に早い段階から上手くやっていた。
初めのプレーで、彼は右にドライブした。ドリブルをやめて、エルボーの位置でシュートフェイクをした。
僕はそのプレーを予期していた。コービー独特のプレーだった。僕はステイ・ダウンしていた(フェイクに引っかからなかった)。
彼はシュートフェイクをまた、さらにまた行なった。僕はステイ・ダウンしていた。僕はフェイントには引っかからなかった。
いくつかのプレーの後、コービーはまた僕に向かってきた。彼はドライブした。スペースを空けて、僕はきっと彼が1回目でシュートを打つと思った。それは間違いだった。
彼はフェイクをして、僕はジャンプをしてしまった。
くそっ、やられた。
でも、ジャンプした僕からファウルを得る代わりに、彼はたくさんのトリックを行なった。
僕が空中にいる間、コービーはリバースピボットをして、僕の足元にステップを入れた。トップ・オブ・ザ・キーの位置から、
バックボードにボールを投げた。僕はまだ空中にいた。ヘルプはなかった。見ていることしかできなかった。
※ジェラルドが言っているプレーは、おそらくこのプレーだと思われます。
僕は自分にこう言ったことを覚えている。“馬鹿。フェイクに引っかかったらダメじゃないか”
このムーブが印象的だったのはいくつも理由がある。
コービーはバックボードにボールを当てて、完璧に自分へのパスにできる技術を持っているということ、
空中でボールを取って、フープへ入れたこと。しかも、彼がやったムーブは、おそらく、する必要がなかった。
彼は簡単に僕をトップの位置で陥れて、2つの簡単なフリースローを打てただろう。
でも、彼はほとんどの選手がやろうとも思わないような、創造性豊かなムーブをした。なぜか?
ファンのため?ハイライトのため?彼がレジェンドだから?
理由は誰にもわからない。彼はスペシャルだ。
コービーは30点取ってゲームを終えた。コーチ・ブラウンは僕にうなずいて、よくプレーしたと言ってくれた。
彼は本気で言っていたと思う。コービーが30点取ったにもかかわらず。
僕は自分のゲームプランにこだわった。
偉大なスコアリング・ガードにとってもそれは当てはまる。タフにマークマンを守り、コンテストされた2ポイントシュートを打たせる。バランスが崩れたジャンパーなら、なおさら良い。
問題は、バランスが崩れた、コンテストされたジャンパーが、コービーの最大級のオフェンスムーブだということ。
彼はドライブでディフェンダーを抜き去り、自分のスポットを見つけ、ヘルプディフェンダーが来てもアシストをせず、飛び上がり、ディフェンダーが手を伸ばしても届かないような、高い位置へのジャンプからボールをリリースし、よりアーチを高くしてシュートを放つよね。
もしあなたがディフェンダーなら、あなたが打たせたグレイトなシュートだ(ディフェンダーがよく守っているということ)
どんなコーチも笑顔になるだろう。
でも、コービーはそれらのシュートを決めてくる。一貫して。そしてそれに対してあなたができることは何もない・・・
コービーのスコアリングの芸術性は完璧だった。もしそれらのシュートが決まるのならば。
彼は相手が計算することも、計算のうちだ。彼は得点を取るためのムーブでいっぱいのツールボックスを持っている。
毎夜、彼は新しいツールがあり、新しいシナリオがある。良いディフェンスがコービーをスローダウンさせるのは稀だ。
クレイジーなことに、良いディフェンスがコービーをさらに良くする。彼はただ、新しいムーブを披露して、試せるような時を待っているんだ。
彼の本領は、コービーがただジャンプシュートしか持っているわけではないということだ。
彼は試合ですべてに渡って上手くやる。彼は長期間、オールディフェンシブチームのメンバーだった。
彼は毎夜、他のチームのベストペリメータープレーヤーをチェックして、封じ込めた。
キャリアを通して、彼は過小評価されたパサーだった。なぜなら、彼は難しいシュートを打って、決めるからだ。
彼は多方面にわたって活躍してきたんだ。
今シーズン、彼の20年の最後、コービーはいつもの彼自身ではなかった。明らかにケガが彼を取り上げ、過去のような活躍ができていなかった。
たくさんの人が彼を批判し、ほとんど、彼がゲームでしてきたことを忘れているかのようだった。
NBAで彼がしてきたことが忘れられていた。僕のように、彼を見て育ってきたような子供たちに対してしてきたことが忘れられていた。
コービーがなぜバスケットボールプレーヤー史上、最も偉大なプレーヤーの一人なのかを僕が分析する必要はない。コービーのさよならツアーの今年中、コメンテーターがそれ(分析)をするだろう。そしてこの先何年も。
バスケットボールというスポーツ、また、他のスポーツについて言えば、勝つためにプレーしないといけない。
だから、コービー・ブライアントに関しては、チャンピオンとしての彼を全力で、最も称賛し、尊敬する。5回にも渡って。それは誰も絶対に忘れられない。
ブザーが鳴り響いた後、僕はコートから出ようとして、そしてあるメンテナンスクルーのうちの一人、ウォームアップの最中に梯子をコートに持ってきた作業員を見つけた。
僕は訊ねた。
ヘンダーソン:ねぇ、試合前にリムがどうかしたの?
作業員:ああ、誰かがリムが通常よりもちょっと低いと私たちに知らせてくれたんだ
さらに彼は言った。
作業員:気にしないで。ちゃんと10フィート(元の高さ)に調節したから
そして彼はどのくらいずれていたのかを僕に伝えた。
その答えは言えるけど、でも、彼が言った数字は、すでにあなたは知っていると思う。
以上が和訳になります。
ヘンダーソンについては、昨季のポートランド戦で、印象的なことがありました。
レイカーズ戦でのことですが、ヘンダーソンがまるでコービーのようにポストアップして、バックダウンでディフェンダー(マッチアップしていたのはコービーではないです)を押しこみ、コービーのようなターンアラウンド・ジャンパーを打って決めたシーンがありました。
それを見て、私はヘンダーソンってこんなプレーをする選手だったかな?と違和感を覚えたのですが、今考えれば、コービーを見て育った選手だからこそ、コービーがいる前で、コービーから学んだムーブを披露したのかもしれないですね。
さらに試合後、コービーはコートを去る前に相手選手たちとハグをしていましたが、ヘンダーソンとは仲よさそうに、他の選手よりも少し長めに会話をしていました。
コービーは相手選手の実力に関係なく、自分に対してハードにディフェンスするなど、立ち向かってくる選手を気に入る傾向がありました。自分と同じようなハードワーカーが好きなんだと思います。
コービーも何年にもわたるヘンダーソンとのマッチアップを経て、ヘンダーソンのハードワーカーな部分を見抜き、気に入っていたのかもしれません。
ところで、まだヘンダーソンはFAのままで、どことも契約をしていないのでしょうか?
上でも言いましたが、ヘンダーソンはなかなかいい補強になると思うのですが。
これからツイッターを見て、FA達の動向をチェックしたいと思います。
今日は以上です。
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ゴードン・ヘイワードが語る、コービーのラストゲーム。 [コービー関係]
久しぶりの記事になります。シーズンが終了してから、バイロンの解雇、ルーク・ウォルトンの新HC就任など、レイカーズには動きがありましたが、その時期に忙しかったので、記事にできませんでした。
ツイッターでは少しだけ書きましたが。
それに、シーズンの振り返りについてもまだ書けていません(苦笑)少し時間ができそうなので、近日中に書けばいいのですが。
今回の記事は、それらとは全く関係なく、コービーに関しての記事です。
レイカーズの今シーズン最後の試合の相手で、コービーのキャリア最後の試合の相手となった、ユタ・ジャズのゴードン・ヘイワードが自身のブログで、コービーのラストゲームについて振り返っています。
あの試合は世界中のレイカーファン、コービーファン、バスケットボールファンにとって、衝撃的かつ感動的なエンディングを迎えましたが、対戦相手から見てどうだったのか、という点では、非常に興味深いので、今回はヘイワードの振り返りを和訳してみました。
ちなみに、今回和訳したのは、ヘイワードのブログのこちらの記事の“THE LAST GAME”という部分からです。
いつも通り、意訳している部分があったり、間違って訳している部分もあるかもしれないので、そこはご勘弁を(笑)
それでは、ここからが和訳になります。
THE LAST GAME
私たちはみんな、シーズン最終戦がロサンゼルス、レイカーズ相手で、クレイジーなことになると知っていた。コービー・ブライアントは、今までバスケットボールをプレーしてきた中でも最も偉大な選手の一人で、国中のファンから愛されている。今シーズン、彼がロードゲームでプレーしたときは、いつだってクレイジーだった。 私たちはユタでそれを見た。だけど、この試合は違う。これはコービーのキャリアのラストゲームで、ホームでの試合だ。たくさんの人々やファンが本当に、本当に会場に来ていた。
私たちが試合に向かうバスに乗った時、ロケッツはすでに30点リードだった。だから、おそらく私たちはプレーオフに行けない。そして、このロサンゼルスでの試合は、私たち全員にとって経験になる。率直に言って、それら(ロケッツがリードしていること)は、もう過去のことだった。この試合は私たちにとって忘れられないことになる。そして、こんな試合の一部になれることなんて、これから先、もう2度とないだろう。
私は、この試合の前まで、コービーと会話をするチャンスがほとんどなかった。私たちは少し会話をした。大したことじゃないよ。少なくとも、50台のカメラが彼を取り囲んでいた。試合が始まると、会場の空気は今までに経験したことがない、違ったものになった。
会場のみんな、コービーがボールに触るたびに興奮していた。コービーがボールに触るたびに、ファンはコービーにシュートを打ってほしかった。そして、私たちが彼をディフェンスすると、ファンは私たちにブーをした。
私たちは試合に勝とうとした。そして、私たちはしばらくの間そうだった。だけど、試合が終わりに近づくにつれ、私たちにとってショックなことが起こった。
正直言って、私たちは後半のほとんどの時間で2ケタ以上の点数差をつけていた。そして、残り3分の時点で私たちは10点リードしていた。そして、コービーがシュートを決め始めて、試合は終わりへと始まった。私たちはみんなショックだった。
まるでショーケースのようだった。それか、ビデオゲームか。あんなの、普通じゃないよ。その男は50本シュートを打って、60得点した。彼のアグレッシブさとは違った何かがあった。彼がボールを持ったすべての時間で、彼はシュートに行くか、スコアしようとするか、スコアするために何かをしようとした。
彼はいつもアグレッシブなプレーヤーだ。だけど、その夜、彼はウルトラ-アグレッシブで、すべてのポゼッションでスコアしようとした。
絶えずスクリーンをかけられた時、あなたが思っている以上に、相手を防ぐのは難しい。彼がボールを持つと、ボールマンスクリーンが来る。彼がボールを持っていないと、彼にボールを持たせるために別のスクリーンがやってきて、身動きが取れなくなる。大半の時間で、すごくタフなディフェンスをしていたと私は思う。
多くのポゼッションで、私達は彼にタフなシュートを打たせた。だけど、彼はコービー・ブライアントだ。
彼がシュートを決め始め、観客が盛り上がってくると、彼をできるだけストップさせようと、トライしないといけない。彼がゾーンに入った時点で、ほとんどできることは何もない。コービーがゾーンに入った時点で、試合の終わりだった。彼はすべてのシュートを決め、観客は大騒ぎになっていた。
1人の選手にシュートを打たせるために、相手チームの選手全員が動くようなシチュエーションで、もう2度とディフェンスしたくないよ。コービーにとって、本当におとぎ話のようなエンディングになって、スポーツの世界でも永遠に語り継がれるもののひとつだろう。 みんな、“コービーの夜”になることを望んでいた。私たちを除いてね。でも、そんなものだよね。
コービーと対戦したことは忘れられないよ。ルーキーイヤーの時、彼のプレーを見て本当に感動した。でも、コートに出て彼相手に競争するとき、彼は対戦しないといけない相手であり、倒さないといけない相手だ。そして、持っているものすべてを出し尽くさないといけない。彼は究極の競争者で、私はいつも、彼と対戦したことを憶えているよ。
私の子供に、こうするつもりだよ。私がコービーからスティールして、ダンクを決めたシーンや、彼と対戦したハイライトのビデオを絶対に自分の子供に見せるよ。最も偉大な選手である彼(コービー)について話すんだ。 彼と競争することができて、本当に光栄だった。
以上が訳になります。
対戦相手がどう感じていたのか、という部分も分かってくると面白いものです。どんな気持ちでプレーしていたのかが分かりますし。
日本のテレビ局でも、何度もコービーのラストゲームの再放送があり、そのたびに見ているのですが、何回見ても飽きないですし、本当に映画を見ているような感覚になります。
特に4Q残り3分からは、言葉では表すことができないくらい素晴しいです。
まるで、キャリアのすべてを全力でプレーし、バスケットボールに身を捧げてきたコービーに対して、バスケットボールの神様がくれたプレゼントだったのかな、と思います。
今日は以上です。
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孤独を好むコービーと、ルーティーン [コービー関係]
いよいよ、コービーのキャリアも、明日のユタ戦で終わりを迎えます。
コービーが今まで成し遂げてきたこと、達成した記録、積み重ねてきたものは、本当に偉大で、多くあります。
積み重ねてきた、と言えば、コービーは猛烈な練習熱心さで知られ、これまでの多くの時間を練習に費やし、積み重ねてきました。
選手には、それぞれ決まった練習のルーティーンを持っている人が多いです。有名なところでは、ゴールデンステイトのステフ・カリーでしょうか。両手にボールを持ってドリブルをしたり、選手がコートに出てくる通路からシュートを打って決めてから練習を引き上げる、と言ったルーティーンをしているようですね。
中には変わった人もいて、コービーと仲良しで、現在サクラメントにいるカロン・バトラーは練習ではないですが、試合中に、マクドナルドのストローを口の中に折り曲げて入れ、噛みながらプレーしたり、試合前にカフェイン入りの炭酸ジュースを3本ほど飲み干してからプレーするなど、奇行で知られていました(笑)
そんな中、コービーの練習でのルーティーンの詳細をESPNのライターのBaxter Holmes氏が紹介してくれています。今回はこの記事を和訳してみました。
なお、私の英語力は高くないので、間違っている部分もあるかもしれないです。さらに、噛み砕いて訳している部分もあるので、逆に分かり辛いかもしれません。ご了承ください。
なお、元記事はこちらのリンクになります。
【Kobe Bryant's shooting is part perspiration, all preparation】
〈ここからが記事の和訳〉
コービーは長年にわたり、すべてのアリーナで、試合開始の約4時間前にルーティーンを開始してきた。
『アリーナについたら、まず初めにこのルーティーンをするんだ。』ブライアントは言った。
警備員や、ゲームの準備をする人を除けば、客席は空っぽ。しかし、主にコートはコービーのためにあり、コービーはコートに立ちます。
主にスタジアムは観客の場所ですが、NBAの有名な一匹狼は、一人でその場所にいます。
『これは、試合の前の静けさ』
ロサンゼルス・レイカーズの象徴は言います。
『すごく平和で、すごく静かだ。そして、自分の場所と、要素、ボールの弾む音や、ネットやリムの音を聞く機会を得ることができる。』
この時点で、ブライアントは歴史的な20年のキャリアの中で、残り2試合を残すのみとなりました(この記事は、OKC戦の前に書かれたもの)。シューティングに始まり、努力を開始し、秩序的で、効果的なセッションが、NBA中に一定の神秘性をもたらします。
『プレーヤーが通常の時間にコートにシューティングに行ったなら、絶対にコービーは見かけないよ。』
元NBAプレーヤーで、フェニックス・サンズの臨時ヘッドコーチ、アールワトソンは言います。
『だから、いくつかのゲームや、たくさんのゲームで、彼は決してミスをしない。それでプレーヤーはこんな風に混乱する。“コービーは試合に出ているだけなのに、好調だ”』(コービーが練習しているところを見ていないので、練習をせず、試合にだけプレーに来ていると思い込んでいる)
『でも、彼らはコービーがおそらく午後1時くらいにアリーナに来て、シューティングをしていることを知らないんだ。だから彼は唯一無二で、味方のお膳立てや、プレーの組み立てだって素晴しい。すべてを彼はやる。彼は遂行するんだ。』
ブライアントは決まって、リムの下からシューティングをはじめ、左右それぞれの手で、ゆったりとシュートを15~20本決めます。そしてリズムと、ボールがネットを通り過ぎる感覚をつかみます。
そして彼はミッドレンジに移動し、15フィートほどの位置から、左右のベースライン、左右のウイング、FTラインのエリアからシュートを打ち、それぞれの位置で、15~20本シュートを決めます。
そして、FTをいくつか決めます。けれども、これには制限はありません。
『彼が良い感触を得るまでと、彼が次に移りたいと感じるようになるまでだよ』
レイカーズのビデオコーディネーター且つ、プレイヤー育成担当のコーチ、J・Jアウトローは言います。
彼は5年前にチームに加わって以来、ホームとロードで、コービーのそれらのセッション時にリバウンドを取ります。
そして、ブライアントは3ポイントラインの外に移動し、3ポイントを左右のコーナー、左右のウイング、トップの位置から打ち、それぞれの位置から10本~20本決めます。
その後、ブライアントは再び3ポイントラインよりも内側に入り、もっとFTを打ちます。そして、バスケットに近い位置からシューティングを始めます。
『いつもインサイド、アウトサイド、そしてまたインサイドに戻る、だよ』
アウトローはブライアントのルーティーンについて言います。
これらを見ると、ブライアントは幅広くシューティングを行います。
『試合の中で、これと同じ動きをコービーがするのを見るよ。彼が正確な、同じ動きを何回練習しているか、教えれないほどさ。パンプフェイク、ジャブステップ、パンプフェイク、ジャブステップ、クロスオーバー、1ドリブルプルアップ、この5年間で、何千回もしているよ。』
アウトローは付け加えます。
『彼が行うすべてのことは、ゲームの流れに沿って行われます。彼がボールを持ったとき、ワークアウト時と同じ動きが見られます。そして彼の細かい部分へのこだわりです。シュートフェイク、ジャブステップ、ドリブル、脚の広げ方、ディフェンダーの前でのボールの守り方、ボールを持っての移動、試合に出た時にそれらができるように、彼はすべてに重点を置く。まさに第2の天性だよ。(第2の天性とは、持って生まれた能力ではなく、あとから身につけた能力、技術のこと)』
彼らは1つのボールを使いますが、もし、ブライアントがワークアウトのペースを上げたいときは、2つボールを使うこともあります。大体、ブライアントの試合前のルーティーンは20~30分で終わります。コートから離れるまでの間に、ブライアントは250本ほどシュートを決め、ひと汗かきます。いつものように、ブライアントはひとりきりを好みます。
『彼がシューティングに来るとき、彼はコートでいつもたった一人だ。』アウトローは言います。
『彼はバスケットボールに邪魔が何もない、十分早い時間にコートにやってきます。その時間はメディアの対応も、何もありません。』
その間、アウトローは声を出して、ブライアントが決めた本数を数えません。その代わり、アウトローはブライアントが特定の場所で、シュートを決める本数が2本足りなかったら、“8本”“18本”と言って伝えますが、それ以上は何も言いません。
『その時間に会話はない。』アウトローは言います。
『彼はその方法で集中するんだ。本当に素晴らしいよ。』
ブライアントはオフの日にも、同じルーティーンを続けます。ただ、多くそれを行います。
例えば、ブライアントはそれぞれのスポットから10本から20本シュートを決める代わりに、50本もの数のシュートを決めます。オフシーズンでは、ブライアントは500本から1000本もの数のシュートを決めます。
これらの試合前のセッションにもかかわらず、ブライアントは若い時、その様子を見せようとしなかったのは、ブライアントが心理戦で対抗したかったからだといいました。
『これ(練習の量)は、それほど選手で競争することでもないし、これらは他の要素だよ』
ブライアントは言います。
『なぜなら、私は若い時に見い出したんだ。もし私が他の選手に、私のやっていることを見せたとしても、彼らはそれをしないだろう。だってすごく退屈だし、長い時間同じことの繰り返しだし。』
ワトソンはポートランド・トレイルブレイザーズで迎えた13年目のキャリアで、プレーヤー兼コーチの役割を担っていて、すべてのアリーナに、チームの若手と一緒に早めに到着していました。
彼らはステイプルズセンターに早く到着し、3オン3をする予定でした。そして、アリーナに入った時、コートで1つのボールが弾む音が聞こえました。
『分かったよ』ワトソンは言いました。『あれはコービーだったんだ』
ブライアントにとって、『空っぽのアリーナの平穏さの実際は、美しい』
『自分がここにいて、観客は誰もいなくて、ただ警備員だけがいるなんて、これはとても穏やかな体験だよ』
ブライアントは言います。
『これは美しい、美しいことだ。』
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コービーが今まで成し遂げてきたこと、達成した記録、積み重ねてきたものは、本当に偉大で、多くあります。
積み重ねてきた、と言えば、コービーは猛烈な練習熱心さで知られ、これまでの多くの時間を練習に費やし、積み重ねてきました。
選手には、それぞれ決まった練習のルーティーンを持っている人が多いです。有名なところでは、ゴールデンステイトのステフ・カリーでしょうか。両手にボールを持ってドリブルをしたり、選手がコートに出てくる通路からシュートを打って決めてから練習を引き上げる、と言ったルーティーンをしているようですね。
中には変わった人もいて、コービーと仲良しで、現在サクラメントにいるカロン・バトラーは練習ではないですが、試合中に、マクドナルドのストローを口の中に折り曲げて入れ、噛みながらプレーしたり、試合前にカフェイン入りの炭酸ジュースを3本ほど飲み干してからプレーするなど、奇行で知られていました(笑)
そんな中、コービーの練習でのルーティーンの詳細をESPNのライターのBaxter Holmes氏が紹介してくれています。今回はこの記事を和訳してみました。
なお、私の英語力は高くないので、間違っている部分もあるかもしれないです。さらに、噛み砕いて訳している部分もあるので、逆に分かり辛いかもしれません。ご了承ください。
なお、元記事はこちらのリンクになります。
【Kobe Bryant's shooting is part perspiration, all preparation】
〈ここからが記事の和訳〉
コービーは長年にわたり、すべてのアリーナで、試合開始の約4時間前にルーティーンを開始してきた。
『アリーナについたら、まず初めにこのルーティーンをするんだ。』ブライアントは言った。
警備員や、ゲームの準備をする人を除けば、客席は空っぽ。しかし、主にコートはコービーのためにあり、コービーはコートに立ちます。
主にスタジアムは観客の場所ですが、NBAの有名な一匹狼は、一人でその場所にいます。
『これは、試合の前の静けさ』
ロサンゼルス・レイカーズの象徴は言います。
『すごく平和で、すごく静かだ。そして、自分の場所と、要素、ボールの弾む音や、ネットやリムの音を聞く機会を得ることができる。』
この時点で、ブライアントは歴史的な20年のキャリアの中で、残り2試合を残すのみとなりました(この記事は、OKC戦の前に書かれたもの)。シューティングに始まり、努力を開始し、秩序的で、効果的なセッションが、NBA中に一定の神秘性をもたらします。
『プレーヤーが通常の時間にコートにシューティングに行ったなら、絶対にコービーは見かけないよ。』
元NBAプレーヤーで、フェニックス・サンズの臨時ヘッドコーチ、アールワトソンは言います。
『だから、いくつかのゲームや、たくさんのゲームで、彼は決してミスをしない。それでプレーヤーはこんな風に混乱する。“コービーは試合に出ているだけなのに、好調だ”』(コービーが練習しているところを見ていないので、練習をせず、試合にだけプレーに来ていると思い込んでいる)
『でも、彼らはコービーがおそらく午後1時くらいにアリーナに来て、シューティングをしていることを知らないんだ。だから彼は唯一無二で、味方のお膳立てや、プレーの組み立てだって素晴しい。すべてを彼はやる。彼は遂行するんだ。』
ブライアントは決まって、リムの下からシューティングをはじめ、左右それぞれの手で、ゆったりとシュートを15~20本決めます。そしてリズムと、ボールがネットを通り過ぎる感覚をつかみます。
そして彼はミッドレンジに移動し、15フィートほどの位置から、左右のベースライン、左右のウイング、FTラインのエリアからシュートを打ち、それぞれの位置で、15~20本シュートを決めます。
そして、FTをいくつか決めます。けれども、これには制限はありません。
『彼が良い感触を得るまでと、彼が次に移りたいと感じるようになるまでだよ』
レイカーズのビデオコーディネーター且つ、プレイヤー育成担当のコーチ、J・Jアウトローは言います。
彼は5年前にチームに加わって以来、ホームとロードで、コービーのそれらのセッション時にリバウンドを取ります。
そして、ブライアントは3ポイントラインの外に移動し、3ポイントを左右のコーナー、左右のウイング、トップの位置から打ち、それぞれの位置から10本~20本決めます。
その後、ブライアントは再び3ポイントラインよりも内側に入り、もっとFTを打ちます。そして、バスケットに近い位置からシューティングを始めます。
『いつもインサイド、アウトサイド、そしてまたインサイドに戻る、だよ』
アウトローはブライアントのルーティーンについて言います。
これらを見ると、ブライアントは幅広くシューティングを行います。
『試合の中で、これと同じ動きをコービーがするのを見るよ。彼が正確な、同じ動きを何回練習しているか、教えれないほどさ。パンプフェイク、ジャブステップ、パンプフェイク、ジャブステップ、クロスオーバー、1ドリブルプルアップ、この5年間で、何千回もしているよ。』
アウトローは付け加えます。
『彼が行うすべてのことは、ゲームの流れに沿って行われます。彼がボールを持ったとき、ワークアウト時と同じ動きが見られます。そして彼の細かい部分へのこだわりです。シュートフェイク、ジャブステップ、ドリブル、脚の広げ方、ディフェンダーの前でのボールの守り方、ボールを持っての移動、試合に出た時にそれらができるように、彼はすべてに重点を置く。まさに第2の天性だよ。(第2の天性とは、持って生まれた能力ではなく、あとから身につけた能力、技術のこと)』
彼らは1つのボールを使いますが、もし、ブライアントがワークアウトのペースを上げたいときは、2つボールを使うこともあります。大体、ブライアントの試合前のルーティーンは20~30分で終わります。コートから離れるまでの間に、ブライアントは250本ほどシュートを決め、ひと汗かきます。いつものように、ブライアントはひとりきりを好みます。
『彼がシューティングに来るとき、彼はコートでいつもたった一人だ。』アウトローは言います。
『彼はバスケットボールに邪魔が何もない、十分早い時間にコートにやってきます。その時間はメディアの対応も、何もありません。』
その間、アウトローは声を出して、ブライアントが決めた本数を数えません。その代わり、アウトローはブライアントが特定の場所で、シュートを決める本数が2本足りなかったら、“8本”“18本”と言って伝えますが、それ以上は何も言いません。
『その時間に会話はない。』アウトローは言います。
『彼はその方法で集中するんだ。本当に素晴らしいよ。』
ブライアントはオフの日にも、同じルーティーンを続けます。ただ、多くそれを行います。
例えば、ブライアントはそれぞれのスポットから10本から20本シュートを決める代わりに、50本もの数のシュートを決めます。オフシーズンでは、ブライアントは500本から1000本もの数のシュートを決めます。
これらの試合前のセッションにもかかわらず、ブライアントは若い時、その様子を見せようとしなかったのは、ブライアントが心理戦で対抗したかったからだといいました。
『これ(練習の量)は、それほど選手で競争することでもないし、これらは他の要素だよ』
ブライアントは言います。
『なぜなら、私は若い時に見い出したんだ。もし私が他の選手に、私のやっていることを見せたとしても、彼らはそれをしないだろう。だってすごく退屈だし、長い時間同じことの繰り返しだし。』
ワトソンはポートランド・トレイルブレイザーズで迎えた13年目のキャリアで、プレーヤー兼コーチの役割を担っていて、すべてのアリーナに、チームの若手と一緒に早めに到着していました。
彼らはステイプルズセンターに早く到着し、3オン3をする予定でした。そして、アリーナに入った時、コートで1つのボールが弾む音が聞こえました。
『分かったよ』ワトソンは言いました。『あれはコービーだったんだ』
ブライアントにとって、『空っぽのアリーナの平穏さの実際は、美しい』
『自分がここにいて、観客は誰もいなくて、ただ警備員だけがいるなんて、これはとても穏やかな体験だよ』
ブライアントは言います。
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臨時記事『コービーの肩と残りシーズンの出場に対しての考え方』 [コービー関係]
今日のデンバー戦後のコービーのインタビューに関する記事です。
コービーは今日のデンバー戦にスタートで出場しましたが、1Qに10分50秒プレーした後、右肩の痛みのためにその後プレーしませんでした。
成績はFGが1/2、FTが2/3というものでした。
試合後に肩の具合について答えていることと、今シーズンの残り試合の出場について答えています。
ツイートしても良かったのですが、ツイートだと長くなるので、記事として投稿しました。
なお、この記事はツイッターで得た情報をつなぎ合わせて訳して書いています。
インタビュー動画を見て訳したわけではないので、内容として抜けている部分があると思います。私の英語力ではリスニングは厳しいので、ツイッターで得た情報をもとに訳すのが限界でした。ご了承ください。
記者:肩の調子はどうか?
コービー:とても、とてもズキズキと痛む。
記者:何週間か休む(欠場する)可能性についてどうか?
コービー:私はそれ(休むこと)ができるよ。20試合残っているし。出来る限りコートに出て、プレーしたい。そうするつもりだよ。ステイプルズセンターでの試合(ホームゲーム)では、もう少し出場してプレーしないといけないね。これで終わりなのだから。 それと同時に、シーズンが終わりに向かっていくにつれて、肩がまた外れたり、また手術台に上らないといけなかったり、それらの状況にはなりたくないんだ。それらは起こってほしくない。だから私たちは賢くならないといけない。でも、私はまだ時間が残されていることに感謝しているよ。
以上がインタビューの内容です。
この内容に加えて、コービーはもし今日がデンバーでのラストゲームでなかったなら、今日はプレーしなかっただろうとも言っています。今日も無理してプレーしたのでしょう。
私はこのインタビューの内容に少しショックを受けました。肩のケガ(痛み)は想像以上に重症なことに加え、残り20試合すべてをプレーすることはできないのだと実感することになったからです。
そこまで体はボロボロの状態だったのでしょう。おそらく、今季の試合の中で良いコンディションで望んだ試合なんて無いのではないでしょうか。
これは私の予想ですが、次の試合からコービーはしばらく休むことになると思います。とてもプレーできる状態ではないと思います。
幸運なのはスケジュール的に、今後ホームゲームが8試合連続であるということです。
コービーはホームゲームに出場はしたいけれども、最終戦をしっかりとプレーして終えたいというような趣旨の発言をしています。
その観点で考えると、今は休んで肩の状態を少しでも良くして、シーズンの最終盤をプレーして引退する、という形になるのではないでしょうか。とても残り20試合すべてに出れるとは思えないです。
幸い、今後8試合連続でホームでの試合なので、さよならツアーのためにコービーが無理して試合に出る必要もないです。
そう考えると次の試合からしばらく休むのではと考えられます。
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